トマトの日本史 ~唐なすび、唐ガキからトマトソースまで~

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古今東西 愛されてきたトマト

ここではトマトの歴史、とくに日本での歴史について紹介します。
今日、トマトは世界中で食べられているメジャーな野菜のひとつであり、日本も例外ではありません。そんなトマトはいつ日本にやってきたのか、どのように日本で広まったのか、歴史的背景や具体的な資料とともに述べていきます。歴史好き、トマトマニアのかたはぜひ。

トマトは江戸時代にやってきた

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江戸時代の「トマトの資料」が残っている!

トマトの原産地は南米ペルーのアンデス高知と言われています。そこからアメリカ、ヨーロッパと伝わり、日本へやってきたのは江戸時代です。四代将軍・徳川家綱の寛永年間(1661〜1673)に長崎へ渡来したとのことです。

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ペルーからはるばる江戸へ……

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江戸時代、貿易が行われた長崎の出島

 

日本最古のトマトの資料1「唐なすび」

江戸時代にやってきたトマトですが、絵に描かれたものが残っています。1668年、将軍家お抱えの絵師・狩野探幽が『唐なすび』と称してトマトの絵を描きました。

絵はカボチャのように見えなくもありませんが、植物のサイズや花のかたちはトマトのそれですね。昔のトマトは今のように実がツヤツヤ・ぱんぱんではなく、絵のようなカボチャやホオズキに似たシワシワ?だったのかもしれません。

ちなみに 絵には次の一言が書き加えられています。

木の長サ四尺斗、つるハ無之候、立木也
寛文八七月十二日、庭了月徳与来、唐なすびと言もの也

現代語訳すると、「およそ四尺(120センチくらい)の木で、つるはない。
寛文八年(1668年)の7月12日に、月徳という人物が(トマトを)持ってきた。唐なすびというそうである。」というような意味です。

狩野探幽(Wikipedia)

日本最古のトマトの資料2「唐ガキ」

絵にならび、文献の方にもトマトが登場します。貝原益軒の著書『大和本草』(1709年)に「唐ガキ」という名でトマトが紹介されています。当時人びとの口には入らなかったためか、トマトは蔬菜の類でなく「雑草」に分類されています。
なお『大和本草』は中村学園大学のホームページより原文を読むことができます。

大和本草

大和本草』(貝原益軒アーカイブ/唐なすびは「巻之九 草之五」に記述)

「唐ガキ」の項目を読んでみると……

唐ガキ
又珊瑚茄ト云俗名ナリ 葉は艾葉ニ似テ大ナリ 又南天燭西瓜ノ葉に似タリ 毎葉小片兩々相對シテ大小相挾メリ 實ハホウツキヨリ大ニシテ殻苞ナシ 熟スレハ赤シ 其廾子ハ龍葵ノ如シ 稲若水曰天茄子ナリ 老鴉眼睛草ヲモ天茄ト云ソレニハ非ズ

貝原益軒『大和本草』より

↑こちらが原文です。
「またサンゴなすびという俗名がある。葉っぱはヨモギに似て大きく、ナンテンやスイカの葉にも似ている。どの葉っぱも大小向かい合って、小さい部分が左右対称にくっついている。実はホオズキよりも大きく、包んでいる殻のようなものはない。熟したときは赤く、種は龍葵のようである。稲若水によれば天なすびだという。老鴉草や眼睛草も天なすびというが、それとはまた違う。」(意訳です。間違いなどあればご指摘ください)

 

観賞用から食用へ

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真っ赤なトマトは「食べものではない」!?

最初は鑑賞用だった

日本にやってきた当初、トマトは鑑賞用とされ、まったく人びとの口に入ることはありませんでした。その真っ赤な果実か血を連想させ、どうにも気味が悪くて食べる気にならなかったのだとか。欧米でも最初、トマトには毒があるとされ、やはり食用ではありませんでした。よく似たナス科植物のベラドンナが猛毒であったたため、トマトも食べちゃだめだろうと考えられていたのです。
そんなトマトですが、日本では明治に入ってからだんだんと食べられるようになってきました。

西洋野菜の仲間入り

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明治時代、西洋野菜がやってくる

明治になり、外国からさまざまな野菜、いわゆる西洋野菜が輸入されるようになりました。キャベツや玉ねぎ、にんじん、アスパラガスなどがそうですが、その中に「食べられるトマト」もあらためてやってきたというあんばいです。
しかしながらトマト特有の真っ赤な色、青臭さ、くせのある酸味などが人びとの口に合わず、まったく売れなかったそうです。

 

「食べられる」から「おいしく食べられる」へ

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トマトソース、開発される

トマトソースの登場

食べられるけど、まずい。そんなトマトに活路を見出したのは「ソース」でした。

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ようやくトマトも食卓のレギュラーに

ケチャップでおなじみ「カゴメ」。その創始者である蟹江一太郎とその一家が国内第一号の「トマトソース」を開発しました。その後トマトケチャップウスターソースも作り出し、これが洋食ブームも相まって大ヒット。トマトが家庭におなじみの味となっていきました。

参考:カゴメ 企業情報サイト「カゴメの歴史 1899年~1959年

日本ではトマトの品種改良が盛んになりましたが、人びとの口にあうものが出回るようになったのは昭和に入ってからです。

 

トマトの日本史まとめ フローチャート

・南米ペルーのトマトが大航海、ヨーロッパへ

江戸時代に日本へ渡来
加納「よっしゃ絵に描いたろ、この赤いナスビ
江戸「赤くてきもい。まずそう」
貝原「これは雑草の仲間じゃ」
→あくまで観賞用、食べられず

・明治時代になり、西として少しづつ食べられるように
蟹江一太郎「トマトを広めよう!ソースを作ろう!」
→トマトソースを開発、ケチャップウスターソース

洋食ブームにケチャップがジャストフィット。
・品種改良も進み、トマトが食卓のレギュラーへ

 

今回参考にしたWEB
Wikipedia「狩野探幽」

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